自らをアップデートしないで、元から才能のある人なんてなかなかいない。
見回してみるに、30くらいになると、どこかでその更新が止まってしまっている人が実に多い。

例えば、美大なんか出たところで、デッサン力にかまけて良いものを観たり、感じることを怠ったりしていると、あっという間に、「持たざる人」にセンスを追い抜かれる。絵なんて一切描けなくても、単なるアートディレクターよりも良い美的判断ができる人は世の中にはごまんといる。

そう、人はそれを「センス」と呼んで、普遍的なものと勘違いしている。実際はそのまったく逆で、「センス」とは、常に磨いていなければ日々消費されていくし、買い置きしていたら腐るものなのだ。そういう意味では、食用品のそれに近い。

人生訓なんかで「わくわくすること!」「めんどくさがらずやること!」「日々是勉強!」なんて言われるが、大体の言葉が、結局はこのアップデートのことを指している。

改めて自戒を込めて。あっぷでーと まいせるふ。

鏡を見るとき自分は、変な顔になっていやしないか、確認する。

大人になると、ちょっと会ってない友人が、あっという間に変な顔になっていたりする。

なんだか胡散臭くなってたり、何かに執着してそうだったり、老け込んだり。顔そのものは変わらない。顔つきが変わっているのだ。

昔、なにかのドラマで、「二十歳までの顔は親がくれた顔。二十歳を過ぎたら自分で作るもの」という台詞があった。

ちょっと見ぬ間に、格好よくなっている人、美しくなっている人も、もちろんいる。そういう人は、素敵な時間を過ごしてきたのだな、と思う。そして、自分もそうでありたいと。

最近の自分の顔。充実はしているが、少し、疲れの色が見え隠れする。これが「型」にならないうちに、なんとかしないとな。

自分は頭がカタいので、グラフィックデザイナーが展示をする上でのコンセプトメイキングに、随分苦心してきた。本来、受注仕事であるデザインにおいて、「なにもない」ところに問題提起をすることに違和感を感じていたからだ。どんなテーマを持ってきても、それが当人の世界観をメインにおく限り、表現する上での、建前上の“無理やり感”は消すことはできない。

そんな中、去年の5月に恩師である佐藤晃一先生が亡くなった。
その際に感じたのは、自分を育ててくれたグラフィックデザインになにか恩返しができないかなぁ。という漠然とした思いだ。

そこで、考え方のレイヤーを一段あげ、グラフィックデザインそれ自体を「クライアント」のように捉えるというメタ的発想をすることにした。
即ち、自分が考える「グラフィックの問題点」を定義し、それに対する解を仮に提示することで、デザインの抱える受動性という問題を排除しようと考えたのだ。

それにより、自分が今まで悩んでいた問題は、一度に解決した。
デザインの抱える不自由さの問題を、皮肉にも、デザイン的な発想によって。